インタビュー_研究者の途

研究者の途:リジャル ホム・バハドゥル先生

東京都市大学環境情報学研究科長 リジャル ホム・バハドゥル先生は、Energies誌の編集委員としてご尽力いただいております。今回はリジャル先生にインタビューをさせていただき、先生のこれまでのご経歴・ご体験や、今後研究者の道をめざす学生の方々へのアドバイスを伺いました。

〜ご経歴〜

1992年 トリブバン大学工学部建築学科(ネパール) 卒業

1994年 飛鳥学院(日本語学校) 卒業

1998年 芝浦工業大学工学部建築工学科 卒業

2000年 京都大学工学研究科環境地球工学専攻 修士課程 修了

2004年 京都大学工学系研究科環境地球工学専攻 博士課程 修了

2004年 京都大学 日本学術振興会外国人特別研究員 

2006年 Oxford Brookes University 博士研究員

2009年 東京大学 博士研究員

2010年 東京都市大学 講師

2012年 東京都市大学 准教授

2017年 東京都市大学 教授

2019年 東京都市大学 環境創生学科長

2022年 東京都市大学 環境情報学研究科長

〜教授になるとは思ってはいませんでした〜

2017年、先生が東京都市大学の教授になったことをご両親に伝えると、ご両親は「教授?校長先生みたいなものなの?」と。ネパールの都市から離れた村の出身であった先生と先生を取り巻く環境には、当時アカデミックな世界は遠いものでした。

先生自身も、初めは日本の大学で研究科長になるとは思ってもいなかったとおっしゃいます。ネパールの大学に進学するために、アイスクリーム屋やエレベーターボーイなど、1日16時間働いて大学の学費を工面するところからスタートしたのですが、先生が建築の分野を選んだきっかけは、ある偶然の会話からだったそうです。先生の友人の友人がアイスクリームを食べに来たとき、「建築を勉強すれば、いつか会社で働けるよ」と。「ネクタイを締めて冷房の効いたオフィスで働けるなんて、とても魅力的だな」と感じたそうです。

来日した当初は、芝浦工業大学に進学して、「建物のデザインや設計をしたい」と周囲に伝えていました。しかし、教授から「ネパールに帰っても、修士号や博士号は必ずプラスになる」と助言を受け、研究を深め、論文を発表し、学会で発表していくうちに、自分は建物を設計することよりも、研究することに興味があるのだと実感されたそうです。

〜研究テーマが決まらない苦悩の日々〜

先生の専門は環境建築学で、修士課程在学中の1990年代には、京都議定書の調印などで気候変動問題がクローズアップされていました。先生はこの問題にとても興味を持っていましたが、ご自身の本当に取り組みたい研究分野を見つけるのはそう簡単ではなかったようです。

京都大学の修士課程では、毎日数多くの論文を読んで研究テーマを練っても、指導教員に何度も却下され、「毎週指導教員に会って、テーマを提案して…却下される日々が数カ月も続いたんですよ」と、笑顔で教えてくださいました。

先生のネパールのご生家

そんなある日、先生はイギリスから来た親しい友人に自分の村の写真を見せたそうです。その時の先生は、ただ自分の家を見せて、村の暮らしぶりを説明しただけだったそうですが、その友人は、「こんな建物は見たことがない」と、とても感銘を受けたようです。そんな友人の様子を見て、自国ネパールには、北部、南部、中部、丘陵地帯、山岳地帯など、それぞれ気候が異なっていて、人々の文化によって、いくつかのタイプの家があることに気がつきました。ネパールの気候や風土による建築物の違いについてはまだ誰も研究していなかったので、これはいいアイデアだと思い指導教員に提案したところ、それが認められて修士・博士課程の研究の核となったそうです。

「現在、私は、伝統的な建築物を中心に、気候や風土に合った建築物を研究しています。どうしようかと悩んでいるときなど、それぞれのターニングポイントで誰かが私からアイデアを引き出してくれて、その人たちの影響を受けて私の興味や研究分野も変化していったのです」とおっしゃいました。

〜実践教育の重要性〜

先生が修士課程に進学された理由の一つには、大学の教育システムも影響しているかもしれません。日本の多くの企業には研修制度があるので、新入社員は最初の数カ月から1年間、その会社で「働き方」の実務研修を受けられます。学生は学部生の時に広範囲のことを学ぶことができますが、実践的なスキルを身につけられないまま、卒業を迎えてしまうこともあります。

先生は、「学部の卒業目前になっても、自分に何ができるか、全く自信がなかった」と教えて下さいました。このような経験から、先生は、できるだけ早い時期から学生に多くのことを経験させることを信条とされており、2010年に東京都市大学に着任してからは、学部3年生から学生に学会での発表を積極的に勧めています。

論文投稿には何度も修正が必要ですし、学会発表にも何度も練習が必要なため、3年生にとっては特に大変な作業です。しかし、先生は、発表した学生には明らかに良い影響があると説明してくださいました。多くの学生は、発表後に自身のテーマにさらに興味を持ち、もっと学びたいと修士や博士課程への進学率が上がります。進学しない学生も、就職活動で自信を持てるようになるとのことです。「それはもう雲泥の差ですよ」と。

現在、先生はネパールのトリブバン大学の博士課程の学生も指導しておられます。教科書から学ぶことだけではなく、フィールドに行って、研究センターを訪れて、実際に見て学ぶことを勧めています。先生が研究科長を務める東京都市大学はPBL(Problem Based Learning)に力を入れているそうで「実践的な、あるいは実測・実験に基づいた教育が必要なのです」と力強くおっしゃいます。

〜It Only Comes if You Try〜

先生の生まれ故郷の風景(山と森、背面にヒマラヤ)

インタビューの中で、先生はトライすることの大切さを伝えてくださいました。「一瞬一瞬がとても大切なのです。突然転機が訪れることもありますし、 たまには”運 “もありますが、それは努力すればこそ得られるものです。」と。

先生が博士課程の時、イギリスのある教授のグループの論文を夢中で読んでいるときに、幸運にも学会でその教授に会うことができたそうです。「博士課程を修了したら一緒に働きたい」と教授に伝えたところ、ある日「大学で募集があるから応募しないか」というメールが届いたそうです。その結果、オックスフォード・ブルックス大学で博士研究員のポジションを掴み、さらにキャリアアップできたとおっしゃいます。

学生の皆様に何かアドバイスを、とお伺いすると、「海外に飛び出し、新しい経験を積むことをお勧めします。たとえ新しい環境に身を置くことが難しくても、そうすることで多くの学びの機会やキャリアアップのチャンスを得ることができます」と、にこやかにお答えくださいました。「自分の人生を振り返って、もしイギリスに行かなかったら、あるいは日本に来なかったら、まったく違う人生になっていたかもしれないと思うことがあります。大切なのは、何が起こるかわからないから、挑戦することです」一方で、「石の上にも3年」、成功には時間がかかること、そして、何をするかを決めたら、それを実行に移すことが重要であることも忘れないでほしい、とも教えてくださいました。

〜編集後記〜

先生がアイスクリーム屋で働いていた頃、オーストラリアから来たお客様が、「勉強に専念したほうがいい」と定期的に教育費を振込んでくれたことがあったと伺いました。なぜそんなことをしてくださったかわからなかったが、とても印象に残っていると。「彼のようになりたい」「教育が一番大切」という思いから、先生は奨学基金の法人を立ち上げて、ご出身地の村に学校を建てて運営などをしているそうです。詳しくはこちらからご覧ください。

鎌倉でオーストラリアの支援者Walter Hillbrick氏と一緒に(1994年)

また、先生は「イベントなどで偉大な先生方に囲まれると、場違いな感じがして、なぜ自分がこんな中にいるのかわからなくなる。」と謙遜されていました。ですが、インタビューを通して私達は、教育愛に溢れる先生の思いと、チャンスを意欲的に掴んでそのチャンスを結果にするために尽力されてきた先生の熱意に圧倒されました。「チャレンジ」「努力」「継続」を心に刻み、明日からも頑張る勇気をいただきました。リジャル先生、ありがとうございました。

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