ジョンハンター

18世紀イギリスの解剖医、ジョン・ハンター

「実験医学の父」・「近代外科学の開祖」

ジョン・ハンターという解剖医をご存知でしょうか。18世紀のイギリスといえば、あらゆる体の不調の原因は「体液の不均衡」とされ、頻繁に瀉血が行われたり、まじないまがいの治療が信じられていた時代だそうです。

そんな時代背景の中、ジョン・ハンターは内科医であった兄の解剖学教室の手伝いで解剖を始めます。手先がもともと器用だったこともあり、解剖の道でジョンは徐々に頭角をあらわします。解剖を行ううちに、人体への探究心に火がついたジョンは、時に葬儀社や墓泥棒と結託してロンドン中の死体を集めて解剖と、その標本作成・収集にのめり込みます。倫理的な面では大きな問題があるにしても、ジョンは「実験医学の父」や「近代外科学の開祖」とも言われる人物で、時代を変えるような科学的思考の持ち主でもありました。外科に理論を吹き込み、科学にしたといっても過言ではないかもしれません。

膝窩動脈瘤(しっかどうみゃくりゅう)手術の確立

例えば、ジョンの業績の一つに膝窩動脈瘤(しっかどうみゃくりゅう)の手術があります。膝窩動脈瘤とは当時、馬車の御者の職業病ともされていた疾患で、御者が履いていた乗馬用ブーツが膝裏の動脈を刺激するために動脈が脆弱化して瘤が形成される疾患でした。当時、治療のためには「下肢を切断するしかない」または、「もう全身の血管が脆弱化しているために(実際は全身の血管が脆弱化しているわけではないのだが)治療はできない」というのが定説でした。しかし、ジョンはそれまでの定説を「科学」で覆します。

 はじめにジョンは、患者の動脈瘤のすぐ上と下の動脈を結紮して動脈瘤を掻き出す方法を試みますが、結紮した血管が破裂してしまい、患者は出血多量で亡くなってしまいます。そこで、ジョンは、「血管が破裂してしまうのは、すでに脆弱した血管を結紮するからかもしれない」と仮説を立てて、犬を使った実験を行います。生きた犬の脚の動脈壁をギリギリまで薄く削り縫合します。その数週間後に解剖してみると、削った動脈壁は元の厚さに戻っていました。健康な血管であれば一時的に薄くなっても元に戻ることを確認したジョンは、動脈瘤のもっと体幹側の健康な大腿動脈を結紮すれば血管の破裂を防げるのではないかと考えます。

さらにジョンは、鹿の角に血液を送る頸動脈を結紮する実験を行います。鹿の角は、一時的に温度を失うものの、1週間ほどすると角は温度を取り戻して、成長を再開することがわかりました。その後、その鹿を解剖してみると、結紮した動脈周囲に新しく小さな血管ができていることがわかったのです。この実験からジョンは、人間の大腿動脈を結紮しても、壊疽が生じないだけの側副血行路が十分に再生されるという確信を深めます。

これらの結果からジョンは、動脈瘤ができている膝裏の動脈よりもずっと体幹側の健康な大腿動脈を結紮することで、見事、膝窩動脈瘤の治療に成功したのです。まさに、観察・仮説・検証という科学の原理原則を駆使した、理論に基づいた方法でした。驚くことに、ジョンはこの手術をわずか5分で終了させたといいます。ジョン曰く、「数千も」の解剖を行ってきた確かな技術力もまた、この治療の成功の要因だったのかもしれません。

 少し話はそれますが、日本ではごく最近(2012年)まで手術手技研修目的でのご遺体の解剖は行われておりませんでした。手術手技研修はもっぱらOJT(On-the-Job Training)に委ねられてきたといいます。しかし、先進治療のための医療機器がますます専門化・複雑化するに伴い、生体により近いご遺体でのトレーニング(カダバートレーニング)を行う必要性が高まりました。そのため、日本外科学会・日本解剖学会により「臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン」が作成され、違法性に問われないカダバートレーニングが可能になったという背景があるそうです。

一方で、VR(バーチャルリアリティ:仮想現実)やAR(アグメンティッドリアリティ:拡張現実)を利用したトレーニングシステムも普及してきました。ある研究によると、裸眼で(ヘッドマウントディスプレイやスマートグラスなしで)立体視が可能な、空間現実ディスプレイを用いた新しい解剖学の教育方法が開発・実施されているようです。

さて、ジョン・ハンターに話を戻しますと、ジョンのコレクションが展示されているハンテリアン博物館(イングランド王立外科医師会内)が2023年5月にリニューアルオープンしたそうです。ジョンが生涯をかけて収集した展示にご興味がある方は、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

参考文献

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(河出文庫)2013年 ウェンディ・ムーア著、矢野 真千子(訳)

Hunterian Museum.“Hunterian Museum”. Hunterian Museum About. https://hunterianmuseum.org/, (21 July 2023)

堀岡伸彦. “カダパートレーニングにかける行政からの期待” .特集1: Cadaverを用いた手術演習の実際と問題点. Japanese Journal of Endourology (2019) 32:2-5. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsejje/32/1/32_2/_pdf/-char/ja, (21 July 2023)

日本外科学会・日本解剖学会. “臨床医学の教育及び研究における死体解剖のガイドライン” . 解剖誌

87:21-23(2012). https://www.anatomy.or.jp/file/pdf/guideline/guideline_120823.pdf, (21 July 2023)

Itamiya, T.; To, M.; Oguchi, T.; Fuchida, S.; Matsuo, M.; Hasegawa, I.; Kawana, H.; Kimoto, K. A Novel Anatomy Education Method Using a Spatial Reality Display Capable of Stereoscopic Imaging with the Naked Eye. Appl. Sci. 2021, 11, 7323. https://doi.org/10.3390/app11167323

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