恐竜の腫瘍の再分析:古代のタンパク質が現代医学に与える影響

近年、古代の病気を研究する古代病理学は、腫瘍の発生やその抑制メカニズムの根源を解明するための新しい視点を提供しています。特に、恐竜の化石から腫瘍(がんや良性腫瘍)の痕跡が発見されはじめたことが、この分野に新たな光を当てています。

ゾウやクジラのような大型で長命な生物は、細胞の数が非常に多いため、がんのリスクをいかに低く抑えるかという進化上の課題に直面しています。これはピートのパラドックスとして知られています。例えば、ゾウは重要な腫瘍抑制遺伝子であるTP53の複数のコピーを進化させてきました。また、ホッキョククジラは効率的なDNA修復メカニズムに依存していることが知られています。しかし、恐竜がどのようにしてがんのリスクを管理していたのかについては、ほとんど分かっていません。

古代プロテオミクスの革新

これまで、こうした研究の焦点は骨格の遺存物に大きく置かれてきました。しかし、病気の根底にある生物学的メカニズムを明らかにするためには、化石の中に保存されている分子レベルの証拠に注目する必要があります。

古代プロテオミクスは、古代のタンパク質を分析する画期的な手法です。DNAが時間とともに急速に分解するのに対し、タンパク質ははるかに安定しており、好条件の下では数百万年にわたって存在し続けることができます。この安定性により、タンパク質は古代の病気、特にがんを研究するための理想的な候補となります。

古代プロテオミクスにおける主要な分析技術は以下の通りです:

  • 質量分析:ペプチドの質量電荷比を分析し、タンパク質の残基を特定します。
  • 走査型電子顕微鏡(SEM):高解像度の画像を提供し、赤血球のような細胞や繊維構造の視覚化を可能にします。
  • 飛行時間型二次イオン質量分析法:ヒドロキシプロリンやヒドロキシリシンといったコラーゲン保存のマーカーとなるアミノ酸残基を特定します。
  • 免疫学的アッセイ:オステオカルシンなどの脊椎動物特異的タンパク質の存在を確認します。
  • シンクロトロン赤外マイクロ分光法:骨基質線維中のアミノ酸を検出し、タンパク質の保存を裏付けます。

これらの技術により、血液を吸った蚊の化石からヘモグロビン由来のポルフィリン分子が検出されたり、始新世の魚の目からメラニンが保存されていることが確認されたりしています。

テルマトサウルス・トランスシルヴァニカスにおける画期的な発見

MDPIのジャーナル『Biology』に掲載された論文では、ルーマニアで発見された後期白亜紀の恐竜、テルマトサウルス・トランスシルヴァニカスの顎に生じたアメロブラストーマ(エナメル上皮腫)という良性の歯性腫瘍を再分析しています。この腫瘍は、マイクロCTスキャンや3D表面イメージングなどの非破壊的な画像診断技術を用いて、恐竜におけるアメロブラストーマの最初の報告例として特定されていたものです。本研究では、このテルマトサウルスの標本に対しSEMイメージングを実施し、アメロブラストーマ病変内部における軟組織の保存状態を評価した結果、化石化した骨、特にアメロブラストーマ病変の内部に、「推定赤血球様構造(putative erythrocyte-like structures)」のような低密度構造を観察しました。これらの構造は、腫瘍内に細胞成分が潜在的に保存されていることを示唆しており、化石標本における軟組織の保存を裏付けるものです。この発見は、赤血球のような細胞構造を含む軟組織が、これまで考えられていたよりも広範囲に化石に残っている可能性を示唆しています。

今後の可能性と現代医学に与える影響

化石における細胞構造の保存は、古代病理学および古代プロテオミクス研究に新たな可能性をもたらします。今後、化石からがん関連経路に関わるタンパク質の変異を調べることができれば、恐竜が現代動物に見られるようながん遺伝子変異や腫瘍抑制メカニズムを持っていたかどうかが明らかになります。例えば、現代のヒト、イヌ、マウスにおいてアメロブラストーマと頻繁に関連しているMAPKシグナル経路のBRAF V600E変異が、テルマトサウルスの腫瘍にも存在したとすれば、恐竜における一部の腫瘍形成経路が進化的に保存されていたことを示唆します。これは、がんの進化動態へのより深い洞察を提供し、広大な進化の時間にわたって持続してきた分子メカニズムを浮き彫りにします。

こうした研究は古生物学にとどまらず、現代の比較腫瘍学にも広範な影響を与えると考えられます。大型恐竜が、今日のがんに抵抗性を持つゾウやクジラのようなメガファウナと特定の腫瘍抑制遺伝子を共有していたかを調査することは、現代のがん生物学に関連する古代の遺伝的適応を明らかにします。さらに、中生代における発がんの可能性に影響を与えた大気中の酸素レベルや気候条件といった環境要因や生態学的要因を検討することで、細胞レベルでがんの進行が外部要因によってどのように形成されるかという理解を深めることができるかもしれません。