
シャチのtongue-nibbling:舌をやさしく噛む行動の謎
社会性をもつ動物の行動研究は、種の生態や生物学的特性を理解する上で不可欠な要素です。しかし、クジラやイルカといった海生哺乳類の社会行動は、その活動の大部分が水中で行われるため、研究が困難であるという課題を抱えてきました。
こうした背景の中、2頭のシャチが行うtongue-nibblingという、これまで人間の飼育下でしか観察されていなかった珍しい行動が、初めて野生のシャチでも観察され、MDPIのジャーナル『Oceans』に掲載されました。
舌をやさしく噛む行動の謎
tongue-nibblingは、一方のシャチがもう一方のシャチの舌をやさしく口で触れる(噛む)行動です。2013年に、飼育下のシャチにおけるこの行動が報告され、集団の絆を深めるための社会行動と解釈されました。この行動は主にメスと若い個体の間で観察されました。
しかし、野生の個体からは同様の報告がないため、この行動の生態学的妥当性には疑問が呈されることもありました。例えば、この行動が飼育下特有の常同行動や異常行動、あるいは一時的な流行ではないかという仮説も存在しました。
初の野生での観察:ノルウェーのフィヨルド
今回の研究は、2024年1月11日午前10時40分頃、ノルウェー北部のクヴェーナンゲン・フィヨルドにおいて、野生のシャチ2頭の間でこの「舌をやさしく噛む行動」が観察された初めての事例です。この様子は、市民科学者であるシュノーケル参加者によって捉えられました。シュノーケル参加者たちは、動物への妨害を最小限に抑えるため、ゆっくりと横からシャチに接近し、水中では受動的かつ水平な姿勢で浮遊するという標準的な観察プロトコルに従いました。合計1分49秒にわたる「舌をやさしく噛む行動」は、シュノーケル参加者の一人が持つGoPro Hero 11 Blackで録画され、後に分析されました。
飼育下での行動と一致
この野生で観察された行動は、2013年に飼育下シャチで観察された「舌をやさしく噛む行動」と極めて類似していました。この再発見は、「舌をやさしく噛む行動」が飼育環境によって引き起こされる行動ではなく、シャチの自然な行動レパートリーの一部であるという仮説を裏付けました。
種を超えた類似性
シャチの「舌をやさしく噛む行動」は、最近飼育下のシロイルカで報告された口と口の接触行動とも類似性を示しています。どちらの種でも、これらの行動は主に若い個体に見られ、攻撃性や支配性の兆候が見られない、優しく協調的な口腔接触によって特徴づけられます。このような種を超えた類似性は、ハクジラ亜目における口腔接触行動が、初期の発育段階における社会的スキルと運動スキルの両方の発達に寄与するという仮説を補強すると考えられます。